007

34の謎 ついに北宋はほろんだ 


茶のゆうを下に掛ける。深みは、そこから出る。親の好きな茶色。それを見えないところに使う。

徽宗没までの9年、兄欽宗没までの34年。それらがあまねく含まれる。

しかし、おとしいれられた、だまされたという官鬼が主題。高宗の気持ちなんでしょう。

嫌な奴だったが、だまして旺位を奪った。そうだよ。俺がだましたんだ。


従来、日本で見られた算木紋青磁

なぜか青磁ばかり。手間の掛かる哥窯タイプは少ない。あっても馬鹿に大きくなる。

下の5つの復古品(?)のうち4つまでが、とりあえず17本をコピーしている。

高宗さんの陶家の立派なのは、先に下地に茶でゆう掛けし、次に白で施ユウ。しかして凹面に白いゆうダマリ。

結果、凸の文様が上品に黒く浮き出る。こういうところは、見逃さないで欲しい。

そして、なんとなく良い。見えないところに手間暇。宋の青磁。やはり悪くないですね。

また、刻み目の9年、34年に隠された、高宗の複雑な心境。手放しで鑑賞すべきではないものです。

本家

名窯のすべて


 

17の数。左右で34。 中 算木紋 右 欽宗帝副葬品水筒 

025参照 34の謎。

34年。高宗は7つ、年下(1107生まれ)だから兄62歳で没すると、55歳位。

歳をとって、法もずいぶん落ち着きます。

025のプロファイリング中34年がキーになりました。

高宗という人は、良く磁器を理解している。深い悲しみと苦痛の日々。長い年月。

それが帝を成長させたのでしょう。法が落ち着きます。

34の謎 訂正しました。下をご参照ください 2014/07/08


003

ゆうに隠された34花弁の意味するもの

親の徽宗さんにはすなおに災至が出たが、兄欽宗には従来、あまり出なかった。

災至は、かわいそうに、不幸にも、というやや同情の気持ち。

災至

34年待たされた高宗。病臨、災至の法。さすがに死絶は、ためらった。

しかし仲はこのときでも悪い。30年以上経つのに。いつまでも口舌がでる。偏壺は口舌の為、作られた。

だから、欽宗は帰れない。

国を本家(?)に譲ると決めたのは、兄が死んでから。

臨終の知らせ

死にそうだという時に作られた(死絶がないことから)、この壷の法は、素直に兄を旺と認めている。もう、旺ばかり。

また、妙にすなおなところが疑問点でした。すべて終わった。そう思ったのでしょうか。

旺と認めて、徽宗官窯の雰囲気で仕上げている。

隠し事

汝と同じ、ゆうで本心、本音は隠すのです。(汝のポイント)

つまり、本当のことは言えないのです。裏切り、はかりごと、おとしいれるからです。

34年

欽宗 生年1100。 1126開封陥落。翌1127旺廃位され、同年連行される。(1127は高宗が南宋を興した年)

1128吉林省韓州、1130東北、五国城(満州)に移送。1161、62歳で没する。

廃位連行の1127から没する1161まで34年。


天地同形 さかさまにしても、まったく同じ形です。

2014/06/28 はてさて、次のコレクターさんは、こんな謎解きが好きな人かしら。

謎は永遠に謎のままになるのかな。それも歴史なのかな。

ストラディバリ 楽譜読めねば ただの箱 寒きゃ薪(たきぎ)に、暑けりゃ、まくらに一眠り。

この小壷も、爪楊枝立てにはなります。(いけません、自虐的になりました)